2017年 10月号 子供の治療

こんにちは。σ(^_^;) 10月に入って秋らしくなってきました。この季節はのどや風邪からの咳に悩まされる方も多いようです。あったかいと思っても急に寒くなります。油断しないようにしたいものです。

子供の治療

先日、6歳になる次女の友だちが公園でひざを怪我して歩けない。ということで診させてもらうことになりました。何せ出来たてほやほやの怪我です。骨は折れていないようでしたが、これから腫れてくるのか、判断が難しい状態でした。それでも5分ほど施術しているとひざも動かせるようになって、「歩いても痛くない。」と良くなりました。大人と子供とは全く治り方が違うのです。勝負は早くつきます。子どもが体験することは、何でも初めてのことが多いものです。この子にとってもひざの痛みなど初めての体験だったのでしょう。怪我というより、脳が“痛み”に恐怖を覚えたようです。5分の施術のなかでどの瞬間だったのかまだ不明なのですが、この子の“痛み”の恐怖を取り除けたのではないか。と考えています。この痛みの恐怖で身体が思ったように動けない。そういうケースは大人にも多いと思うのです。『痛みの記憶』と呼ばれるものです。長く続く痛みがしつこくなって治りにくいのはこの『痛みの記憶』のメカニズムから来ていることも多いです。

伝法灌頂(でんぽうかんじょう)に行ってまいりました!

10月1たちから3日にかけて、あいば院はお休みをいただいて奈良の吉野にある金峯山寺蔵王堂の入壇灌頂に行ってまいりました。灌頂とは密教の最高儀式で頭のてっぺんに水をいただく。という意味です。私は普段の仕事を持ちながらも、お坊さんの修業をして参りました。御行なので精神的にも肉体的にもしんどいのは当たり前なのです。水行、五体投地、お百度参り、祈祷、読経、護摩行、灌頂の儀式までに次々に早いペースで行われていきます。それでも私の頭は俗世間からすぐ切り替わるわけでもなく、情けないのですが苦痛を覚えながら早く終わりたい!などと思って時間の経過を気にしていました。苦痛が限界に来ると一つの行が終わります。そうすると、えらい御坊様から法話があり、しんどくて頭が空っぽなのにどの先生のお話も本当にありがたく心に浸み込んできます。そうやってヘトヘトになりながら、次から次へとお行が進んでいきました。その中のお話をご紹介します。

「私達が神仏に合わせないといけない。仏様ならどうするのか。どうしたら喜ぶのか。考えないといけない。私達が神仏に合わせて初めて、神仏は動いてくださる。神様が私たちに合わせて下さるのではありません!」

そのお話を聞きながら、整体にも当てはまる!と思ったのです。よく、「整体であう、合わない。とかありますか?」という質問があります。僕は、整体する人が受ける方と合わせることができるのか、できなかったのか。ということだと思う。と答えているのです。お答えするのと同時に今の自分は目の前の患者さん達に合わせているのか、自問しながら確認します。「自分が治しているのだ。」となると我が出てあまり良い結果を生むことはないです。それぞれのえらいお坊さんのお話が、実際の生活に結びついていて日常に当てはまるお話でした。

実際の灌頂の儀式はここでは詳しく描けないのですが、薄暗い灌室の中で得も言われない世界の中でたくさんの法を授かりました。ここまで来るまでに両親、ご先祖様、密教のお師僧先生、始めたくさんの御坊さま、私を支えてくれた方々がいてこの日が来たことに気づかされて涙がでてきました。生きていく力をいただいたというべきでしょうか!修験道が日本古来1300年続いて来た意味を体験できた三日間でした。西宮に帰って、患者さんと向き合いながら抜苦与楽。日々の施術に精進することにしましょう! 合掌

あいば健整院